青木一男

あおき かずお(Kazuo Aoki) A級

1889年11月28日 – 1982年6月25日 /長野県 /政治・官界

青木一男(1889–1982)は、大蔵官僚出身の政治家。阿部信行内閣の大蔵大臣、東條英機内閣の大東亜大臣などを務めた。[1]

戦時中は南京政府(汪兆銘政権)の最高経済顧問も務め、大東亜省を通じて占領地の経済運営に関与した。[1]

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容されたが、のちに釈放された。戦後は参議院議員として政界に復帰した。[1]

戦犯としての位置づけ

区分
A級戦犯
処遇
不起訴・釈放
巣鴨収容
1945年
釈放
1948年

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容された。[1]

起訴されないまま釈放された(釈放は他のA級容疑者と同時期の1948年ごろとされる)。[1] 諸説あり

戦前の経歴

  • 1916– 大蔵省に入省し、理財局長・企画院次長などを歴任した。[1]
  • 1939 貴族院議員となり、阿部信行内閣の大蔵大臣を務めた。[1]
  • 1942 東條英機内閣の大東亜大臣に就任した。[1]

釈放後の歩み

  1. 1948

    巣鴨拘置所から釈放された。[1] 諸説あり

  2. 1953–

    参議院全国区に連続4回当選し、自由民主党の参議院議員会長などを歴任した。[1]

戦後日本への影響

戦時の財政・大東亜行政を担った官僚政治家が、戦後は参議院で自由民主党の重鎮として復帰した例である。[1]

関わった人物

  • 東條英機 ― 同内閣で大東亜大臣を務めた。[1]

写真

青木一男(1953年、参議院要覧より)
青木一男(1953年、参議院要覧より)
出典:参議院事務局/Wikimedia Commons(パブリックドメイン(PD-Japan-oldphoto)) 原本

出典

本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書

  1. [1]
    一般書 コトバンク「青木一男」(新訂 政治家人名事典/20世紀日本人名事典ほか) (コトバンク) リンク
    生没年・大蔵官僚としての経歴・阿部内閣蔵相・南京政府最高経済顧問・東條内閣大東亜相・A級戦犯として巣鴨収容・戦後の参院全国区連続4回当選・自民党参院議員会長を確認。釈放年は事典に明記がなく要確認

最終確認日:2026-07-09

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