相関図

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政治官界右翼・団体経済・財界メディア 言及される人物 組織・ハブ 人物→組織
満州国の経営を共にした「2キ3スケ」の一人。ともに満州国の産業開発を担った。満州国経営の「2キ3スケ」に数えられた一人。同内閣で大東亜大臣を務めた。ともに陸軍出身だが、荒木の皇道派と東條の統制派は対立した。石原は大川らの神武会に資金を提供した。1948年12月24日に釈放された19名にも、ともに名を連ねている。石原は尋問で、近衛の政策を「おおむね良いと考えていた」と述べ、日中戦争は局地に留めるべきだという近衛の考えに賛成していたと語った。近衛の依頼で陸相に自分の意見を伝えに行ったともいう。陸軍大臣。石原は漢口からの撤退を進言したが、「一度占領した場所は占領し続けねばならない」として応じなかったという(石原の供述による)。猶存社をともに結成した国家主義者。東條内閣の海軍大臣。ともに1948年11月12日に終身禁錮の判決を受け、1955年に釈放された。第2次近衛内閣の外相として1940年に日独伊三国同盟を締結した。極東国際軍事裁判の公判中に死去した。のちのドイツ外相。日独防共協定・日独伊三国同盟のドイツ側の当事者。大島は尋問で、1935年10月にフリードリヒ・ハックの自宅で初めて会い、そこで対ソ防衛同盟の構想を持ちかけられたと述べている。駐イタリア大使。大島と呼応して日独伊三国同盟の締結をリードしたとされる。ともに終身禁錮の判決を受けたが、白鳥は釈放されないまま、1949年6月3日に服役中に病死した。岸信介の最も信頼する側近の一人とされた。ともに戦時の要職から戦後政治に復帰した。実弟。のちに内閣総理大臣を務めた。同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年12月24日に岸と同じ日に釈放された。同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年12月24日に岸と同じ日に釈放された。岸の孫。のちに内閣総理大臣を務めた。1941年、内大臣として東條を後継首相に推挙し、その内閣成立に尽力した。黒龍会をともに組織した国家主義者。葛生ははじめ書記として働き、のち内田の秘書となり、1937年の内田の死後に後継者となった。清国革命のころには内田に随行して上海・南京へ渡っている(内田と孫文は親しい友人だったという)。頭山と黒龍会の関係については、資料によって説明が大きく食い違う。事典は頭山を黒龍会の顧問と記す。葛生自身が1943年にニッポン・タイムズ紙へ寄せた公開状は、頭山を「黒龍会の最高顧問(Supreme Advisor)」と呼ぶ。GHQの記録はさらに踏み込み、逮捕時の評価書と調書の要目は葛生を「頭山の右腕」とし、G-2の報告は、満鮮問題国民同盟および満洲問題挙国一致各派連合会において葛生が内田良平・頭山と交代で首席代表を務めたと記す。他方で葛生は1946年のGHQの尋問において「頭山は会員としても役員としても黒龍会と一切関係がなかった。ただ内田良平と同郷の親友であったため、しばしば会合の議論に同席し、重要な事項を論じるときは議長を頼まれることが多かった」と述べている。葛生は1947年1月、荒木貞夫らを被告とする極東国際軍事裁判に、弁護側文書 No.565 として宣誓供述書を提出した。その中で、当時の荒木は軍だけでなく国民一般からも清廉で無私の愛国者と見られていたと述べている。1940年8月、葛生に大政翼賛会の組織委員となるよう求めたとされる(葛生自身の供述による)。1948年12月24日に釈放された19名に、ともに名を連ねている。1948年12月24日に釈放された19名に、ともに名を連ねている。同じく国家主義の理論・運動を担い、1948年12月24日に釈放された19名に、ともに名を連ねている。ただし葛生はGHQの尋問で「大川周明博士は貴会の会員でしたか」と問われ、「いいえ、違います」と否定している。同じく巣鴨から釈放され、戦後の右翼・政界で活動したとされる。同内閣で外務大臣を務めた。同じくA級戦犯として有罪判決を受け、服役後に政界へ復帰した閣僚経験者。副総理・外相として支えた内閣の首相。その内閣で海軍大臣を務めた。東條は極東国際軍事裁判で死刑判決を受け、1948年12月23日に処刑された。東條内閣の大蔵大臣。ともに1948年11月12日に終身禁錮の判決を受けた。内大臣として宮中にあった。ともに終身禁錮の判決を受けた。ともに終身禁錮の判決を受けた。同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、釈放された。ともに戦後、米国の冷戦戦略と関わりを持ったとされる。三月事件・十月事件で協力した民間右翼の思想家。十月事件などに関与した国家主義者。満州国の経営を共にした「二キ三スケ」の一人。内閣書記官長として仕えた首相。ともに「二キ三スケ」に数えられた。満州重工業開発の総裁として満州国の産業を主導し、「2キ3スケ」の一人に数えられた。自由民主党の参議院議員会長などを務めた。大川周明らの神武会、田中国重らの明倫会など、国家主義団体に資金を提供した。大アジア主義の理論的指導者として国家主義・右翼運動を主導した。駐ドイツ大使館付武官・駐ドイツ大使として、日独防共協定および日独伊三国同盟の締結を推進した。1959年にCIA長官アレン・ダレスと会談し情報協力を求めた。ただしCIAは後に評価を下げた。政界復帰後、自由民主党の有力者となり治安関連の委員会に加わった。歴史研究および米外交文書(FRUS)が伝える秘密資金の対象とされる(提供額には諸説がある)。1955年の保守合同で自由民主党の結成に関与し、総裁・首相を務めた。満州国で産業開発を主導し、鮎川義介・東條英機らとともに満州国を動かす「2キ3スケ」と呼ばれた。1901年に黒龍会を組織し、内田良平の死後は主幹を務めた。1931年の大日本生産党結成にも幹部として参加した。CIA名前ファイルが存在し、占領期は米情報部(G-2)の工作に組み込まれた。ただしCIAの内部評価は諜報価値をほぼ皆無としている。戦後を代表する右翼運動家・フィクサー(黒幕)とされる。戦時中に上海で率いた海軍向けの物資調達機関。CIA名前ファイルが存在し、反共活動をめぐって米情報当局との接点があったとする見方がある(評価は諸説)。1931年に国粋大衆党を結成した右翼運動家。1962年、日本船舶振興会(現・日本財団)の会長に就任した。自由民主党の副総裁を務めた。CIAの機密解除文書でコードネーム「PODAM/POJACKPOT-1」として記録され、原子力・親米世論工作に協力したとされる。読売新聞社主・日本テレビ社長として大メディアを掌握した。桜会を率い、大川周明ら民間右翼と結んで国家改造運動を進めた。満州国の総務長官として行政を統括し、「二キ三スケ」の一人に数えられた。鮎川義介青木一男荒木貞夫石原広一郎大川周明大島浩賀屋興宣岸信介木戸幸一葛生能久児玉誉士夫笹川良一重光葵嶋田繁太郎正力松太郎橋本欣五郎星野直樹東條英機近衛文麿板垣征四郎北一輝松岡洋右ヨアヒム・フォン・リッベントロップ白鳥敏夫佐藤栄作安倍晋三内田良平頭山満鳩山一郎満州国の経営(2キ3スケ)自由民主党右翼運動・団体日独伊三国同盟CIA児玉機関日本財団読売・日テレ

※ 図中の関係・所属は、各人物ページに示した出典に基づきます。裏付けの取れない関係は線を引いていません。

関係の一覧

鮎川義介

人物

  • 岸信介 ― 満州国の経営を共にした「2キ3スケ」の一人。ともに満州国の産業開発を担った。
  • 星野直樹 ― 満州国経営の「2キ3スケ」に数えられた一人。

組織・ハブ

  • 満州国の経営(2キ3スケ) ― 満州重工業開発の総裁として満州国の産業を主導し、「2キ3スケ」の一人に数えられた。

青木一男

人物

  • 東條英機 ― 同内閣で大東亜大臣を務めた。

組織・ハブ

  • 自由民主党 ― 自由民主党の参議院議員会長などを務めた。

荒木貞夫

人物

  • 東條英機 ― ともに陸軍出身だが、荒木の皇道派と東條の統制派は対立した。

石原広一郎

人物

  • 大川周明 ― 石原は大川らの神武会に資金を提供した。1948年12月24日に釈放された19名にも、ともに名を連ねている。
  • 近衛文麿 ― 石原は尋問で、近衛の政策を「おおむね良いと考えていた」と述べ、日中戦争は局地に留めるべきだという近衛の考えに賛成していたと語った。近衛の依頼で陸相に自分の意見を伝えに行ったともいう。
  • 板垣征四郎 ― 陸軍大臣。石原は漢口からの撤退を進言したが、「一度占領した場所は占領し続けねばならない」として応じなかったという(石原の供述による)。

組織・ハブ

  • 右翼運動・団体 ― 大川周明らの神武会、田中国重らの明倫会など、国家主義団体に資金を提供した。

大川周明

人物

  • 北一輝 ― 猶存社をともに結成した国家主義者。

組織・ハブ

  • 右翼運動・団体 ― 大アジア主義の理論的指導者として国家主義・右翼運動を主導した。

大島浩

人物

  • 嶋田繁太郎 ― 東條内閣の海軍大臣。ともに1948年11月12日に終身禁錮の判決を受け、1955年に釈放された。
  • 松岡洋右 ― 第2次近衛内閣の外相として1940年に日独伊三国同盟を締結した。極東国際軍事裁判の公判中に死去した。
  • ヨアヒム・フォン・リッベントロップ ― のちのドイツ外相。日独防共協定・日独伊三国同盟のドイツ側の当事者。大島は尋問で、1935年10月にフリードリヒ・ハックの自宅で初めて会い、そこで対ソ防衛同盟の構想を持ちかけられたと述べている。
  • 白鳥敏夫 ― 駐イタリア大使。大島と呼応して日独伊三国同盟の締結をリードしたとされる。ともに終身禁錮の判決を受けたが、白鳥は釈放されないまま、1949年6月3日に服役中に病死した。

組織・ハブ

  • 日独伊三国同盟 ― 駐ドイツ大使館付武官・駐ドイツ大使として、日独防共協定および日独伊三国同盟の締結を推進した。

賀屋興宣

人物

  • 岸信介 ― 岸信介の最も信頼する側近の一人とされた。ともに戦時の要職から戦後政治に復帰した。

組織・ハブ

  • CIA ― 1959年にCIA長官アレン・ダレスと会談し情報協力を求めた。ただしCIAは後に評価を下げた。
  • 自由民主党 ― 政界復帰後、自由民主党の有力者となり治安関連の委員会に加わった。

岸信介

人物

  • 佐藤栄作 ― 実弟。のちに内閣総理大臣を務めた。
  • 笹川良一 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年12月24日に岸と同じ日に釈放された。
  • 児玉誉士夫 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年12月24日に岸と同じ日に釈放された。
  • 安倍晋三 ― 岸の孫。のちに内閣総理大臣を務めた。
  • 賀屋興宣 ― 岸の最も信頼する側近の一人とされた。A級戦犯として服役後に政界へ復帰し、法務大臣を務めた。

組織・ハブ

  • CIA ― 歴史研究および米外交文書(FRUS)が伝える秘密資金の対象とされる(提供額には諸説がある)。
  • 自由民主党 ― 1955年の保守合同で自由民主党の結成に関与し、総裁・首相を務めた。
  • 満州国の経営(2キ3スケ) ― 満州国で産業開発を主導し、鮎川義介・東條英機らとともに満州国を動かす「2キ3スケ」と呼ばれた。

木戸幸一

人物

  • 東條英機 ― 1941年、内大臣として東條を後継首相に推挙し、その内閣成立に尽力した。

葛生能久

人物

  • 内田良平 ― 黒龍会をともに組織した国家主義者。葛生ははじめ書記として働き、のち内田の秘書となり、1937年の内田の死後に後継者となった。清国革命のころには内田に随行して上海・南京へ渡っている(内田と孫文は親しい友人だったという)。
  • 頭山満 ― 頭山と黒龍会の関係については、資料によって説明が大きく食い違う。事典は頭山を黒龍会の顧問と記す。葛生自身が1943年にニッポン・タイムズ紙へ寄せた公開状は、頭山を「黒龍会の最高顧問(Supreme Advisor)」と呼ぶ。GHQの記録はさらに踏み込み、逮捕時の評価書と調書の要目は葛生を「頭山の右腕」とし、G-2の報告は、満鮮問題国民同盟および満洲問題挙国一致各派連合会において葛生が内田良平・頭山と交代で首席代表を務めたと記す。他方で葛生は1946年のGHQの尋問において「頭山は会員としても役員としても黒龍会と一切関係がなかった。ただ内田良平と同郷の親友であったため、しばしば会合の議論に同席し、重要な事項を論じるときは議長を頼まれることが多かった」と述べている。
  • 荒木貞夫 ― 葛生は1947年1月、荒木貞夫らを被告とする極東国際軍事裁判に、弁護側文書 No.565 として宣誓供述書を提出した。その中で、当時の荒木は軍だけでなく国民一般からも清廉で無私の愛国者と見られていたと述べている。
  • 近衛文麿 ― 1940年8月、葛生に大政翼賛会の組織委員となるよう求めたとされる(葛生自身の供述による)。
  • 笹川良一 ― 1948年12月24日に釈放された19名に、ともに名を連ねている。
  • 児玉誉士夫 ― 1948年12月24日に釈放された19名に、ともに名を連ねている。
  • 大川周明 ― 同じく国家主義の理論・運動を担い、1948年12月24日に釈放された19名に、ともに名を連ねている。ただし葛生はGHQの尋問で「大川周明博士は貴会の会員でしたか」と問われ、「いいえ、違います」と否定している。

組織・ハブ

  • 右翼運動・団体 ― 1901年に黒龍会を組織し、内田良平の死後は主幹を務めた。1931年の大日本生産党結成にも幹部として参加した。

児玉誉士夫

人物

  • 岸信介 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年に釈放されたとされる。
  • 笹川良一 ― 同じく巣鴨から釈放され、戦後の右翼・政界で活動したとされる。

組織・ハブ

  • CIA ― CIA名前ファイルが存在し、占領期は米情報部(G-2)の工作に組み込まれた。ただしCIAの内部評価は諜報価値をほぼ皆無としている。
  • 右翼運動・団体 ― 戦後を代表する右翼運動家・フィクサー(黒幕)とされる。
  • 児玉機関 ― 戦時中に上海で率いた海軍向けの物資調達機関。

笹川良一

人物

  • 岸信介 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年に釈放されたとされる。
  • 児玉誉士夫 ― 同じく巣鴨から釈放され、戦後の右翼・政界で活動したとされる。

組織・ハブ

  • CIA ― CIA名前ファイルが存在し、反共活動をめぐって米情報当局との接点があったとする見方がある(評価は諸説)。
  • 右翼運動・団体 ― 1931年に国粋大衆党を結成した右翼運動家。
  • 日本財団 ― 1962年、日本船舶振興会(現・日本財団)の会長に就任した。

重光葵

人物

  • 東條英機 ― 同内閣で外務大臣を務めた。
  • 賀屋興宣 ― 同じくA級戦犯として有罪判決を受け、服役後に政界へ復帰した閣僚経験者。
  • 鳩山一郎 ― 副総理・外相として支えた内閣の首相。

組織・ハブ

  • 自由民主党 ― 自由民主党の副総裁を務めた。

嶋田繁太郎

人物

  • 東條英機 ― その内閣で海軍大臣を務めた。東條は極東国際軍事裁判で死刑判決を受け、1948年12月23日に処刑された。
  • 賀屋興宣 ― 東條内閣の大蔵大臣。ともに1948年11月12日に終身禁錮の判決を受けた。
  • 木戸幸一 ― 内大臣として宮中にあった。ともに終身禁錮の判決を受けた。
  • 星野直樹 ― ともに終身禁錮の判決を受けた。
  • 大島浩 ― 駐ドイツ大使。ともに終身禁錮の判決を受け、1955年に釈放された。

正力松太郎

人物

  • 岸信介 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、釈放された。ともに戦後、米国の冷戦戦略と関わりを持ったとされる。

組織・ハブ

  • CIA ― CIAの機密解除文書でコードネーム「PODAM/POJACKPOT-1」として記録され、原子力・親米世論工作に協力したとされる。
  • 読売・日テレ ― 読売新聞社主・日本テレビ社長として大メディアを掌握した。

橋本欣五郎

人物

  • 大川周明 ― 三月事件・十月事件で協力した民間右翼の思想家。
  • 北一輝 ― 十月事件などに関与した国家主義者。

組織・ハブ

  • 右翼運動・団体 ― 桜会を率い、大川周明ら民間右翼と結んで国家改造運動を進めた。

星野直樹

人物

  • 岸信介 ― 満州国の経営を共にした「二キ三スケ」の一人。
  • 鮎川義介 ― 同じく「二キ三スケ」の一人。満州国の経営に携わった。
  • 東條英機 ― 内閣書記官長として仕えた首相。ともに「二キ三スケ」に数えられた。

組織・ハブ

  • 満州国の経営(2キ3スケ) ― 満州国の総務長官として行政を統括し、「二キ三スケ」の一人に数えられた。

各関係の詳しい出典は、それぞれの 人物ページに記載しています。

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