荒木貞夫
あらき さだお(Sadao Araki) A級1877年5月26日 – 1966年11月2日 /東京府 /政治
荒木貞夫(1877–1966)は、陸軍大将・政治家。皇道派の巨頭として知られ、犬養毅内閣・斎藤実内閣の陸軍大臣を務めた。[1]
「皇道」を唱えて天皇中心の軍を強調し、精神主義的な軍国主義の主唱者とされた。陸軍内では統制派と対立した。[1]
第一次近衛文麿内閣・平沼騏一郎内閣の文部大臣を務め、教育の国家主義化を進めた。敗戦後、A級戦犯として終身刑を受けたが、1955年に仮釈放された。[1]
戦犯としての位置づけ
- 区分
- A級戦犯
- 処遇
- 有罪(終身刑)・服役後に仮釈放
- 巣鴨収容
- 1945年
- 釈放
- 1955年
戦前の経歴
釈放後の歩み
- 1955
巣鴨拘置所から仮釈放された。[1]
戦後日本への影響
皇道派の巨頭・精神主義的軍国主義の主唱者として、1930年代の陸軍と国家主義に大きな影響を与えた。文相としては教育の国家主義化を推し進めた。[1]
関わった人物
- 東條英機 ― ともに陸軍出身だが、荒木の皇道派と東條の統制派は対立した。[1]
写真
出典:国立国会図書館/Wikimedia Commons(パブリックドメイン(PD-Japan-oldphoto)) 原本
出典
本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書。
- [1] 一般書 コトバンク「荒木貞夫」(日本大百科全書ほか) (コトバンク) リンク生没年・陸軍大将・皇道派・犬養/斎藤内閣の陸軍大臣・第一次近衛/平沼内閣の文部大臣・精神主義的軍国主義・統制派との対立・A級戦犯終身刑(1948)・1955年仮釈放を確認
最終確認日:2026-07-09