正力松太郎

しょうりき まつたろう(Matsutaro Shoriki) A級

1885年4月11日 – 1969年10月9日 /富山県 /メディア・政治・官界

正力松太郎(1885–1969)は、内務官僚から読売新聞社主・日本テレビ社長へ転じたメディア界の実業家・政治家。「大正力」「テレビ放送の父」「原子力の父」と呼ばれた。[1]

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容されたが、1947年に不起訴で釈放された。以後、読売新聞・日本テレビを基盤に世論に大きな影響力を持ち、プロ野球や原子力発電の導入を推進した。[1]

CIAの機密解除文書では、正力はコードネーム「ポダム(PODAM)」として記録されており、冷戦下で米国の原子力・親米世論工作に協力したとされる。[2][3]

戦犯としての位置づけ

区分
A級戦犯
処遇
不起訴・釈放
巣鴨収容
1945年12月
釈放
1947年

戦時中の経歴などから、1945年12月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は正力の逮捕を命じ、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容された。[1]

約21か月の収容ののち、1947年に不起訴のまま釈放された。ただし公職追放は継続した。[1][3]

戦前の経歴

  • 1910年代–1923 内閣統計局を経て警視庁に入り、米騒動や東京市電争議などで辣腕をふるった。[1]
  • 1923 虎の門事件(摂政宮狙撃事件)の警備責任を負って警視庁を退いた。[1]
  • 1924 後藤新平の融資を受けて読売新聞の経営に乗り出し、社長に就任。徹底した大衆化で部数を拡大した。[1]
  • 1934 大日本東京野球倶楽部(後の読売巨人軍)を創設し、日本のプロ野球の振興に尽力した。[1]

釈放後の歩み

  1. 1947

    巣鴨拘置所から釈放された(公職追放は継続)。[1]

  2. 1952

    日本テレビ放送網を創立して社長に就任し、日本初の民間テレビ放送を主導した(本放送は1953年)。[1]

  3. 1955–

    衆議院議員に当選し、以後、北海道開発庁長官・原子力委員会委員長・科学技術庁長官・国家公安委員長などを歴任した。[1]

  4. 1956–

    東海村の原子力研究所の創設に尽力するなど、日本の原子力発電の導入を推進した。[1]

戦後日本への影響

読売新聞・日本テレビという大メディアを掌握し、プロ野球の普及や商業テレビ放送の確立を通じて、戦後日本の大衆文化・世論形成に大きな影響を与えた。[1]

1954年の第五福竜丸事件で高まった反核・反米感情を背景に、米国(CIA)は「原子力の平和利用」への好意的な世論づくりを図り、大メディアを握る正力の協力を得たとされる。研究者の有馬哲夫は、機密解除文書に基づき、正力がコードネーム「PODAM/POJACKPOT-1」としてCIAと関係したことを明らかにしている。[2][3]

関わった人物

  • 岸信介 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、釈放された。ともに戦後、米国の冷戦戦略と関わりを持ったとされる。[2]

写真

正力松太郎(1955年)
正力松太郎(1955年)
出典:読売新聞社『読売新聞八十年史』/Wikimedia Commons(パブリックドメイン(PD-Japan-oldphoto)) 原本

出典

本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書

  1. [1]
    一般書 コトバンク「正力松太郎」(日本大百科全書ほか) (コトバンク) リンク
    内閣統計局→警視庁・虎の門事件での退官・後藤新平の融資と読売新聞社長就任・読売巨人軍創設(1934)・日本テレビ創立(1952)・衆院議員/原子力委員会委員長/科学技術庁長官等の記載を確認
  2. [2]
    学術 原発・正力・CIA ― 機密文書で読む昭和裏面史(新潮新書249) /有馬哲夫(早稲田大学教授) (新潮社 2008)
    米国立公文書館(NARA)所蔵のCIA機密解除文書に基づき、正力のコードネーム「PODAM」や、原子力・親米世論工作への協力を検証した研究。関連に同著者『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(2006)
  3. [3]
    一次資料 機密解除文書「SHORIKI, MATSUTARO」(CIA名前ファイル) /U.S. Central Intelligence Agency CIA Reading Room / NARA(CREST) リンク
    米情報機関が保持する正力の人物ファイル。コードネーム PODAM/POJACKPOT-1 が現れる。スキャン文書であり、個別記述の評価には留意

最終確認日:2026-07-09

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