鮎川義介

あいかわ よしすけ(Yoshisuke Aikawa) A級

1880年11月6日 – 1967年2月13日 /山口県 /経済・財界・政治

鮎川義介(1880–1967)は、日産コンツェルン(日本産業)を築いた実業家。日立製作所や日産自動車などを傘下に持つ一大企業グループを形成した。[1]

1937年から満州重工業開発の総裁として満州国の重工業建設を主導し、岸信介らとともに満州国経済を動かす「2キ3スケ」の一人に数えられた。[1][2]

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨に収容されたが、1947年に釈放された。戦後は参議院議員として政界にも関わった。[1]

戦犯としての位置づけ

区分
A級戦犯
処遇
不起訴・釈放
巣鴨収容
1945年
釈放
1947年

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容された。[1]

起訴されないまま、1947年に釈放された。[1]

戦前の経歴

  • 1910 戸畑鋳物を設立し、のちに日立製作所などを含む日産コンツェルンを築いた。[1]
  • 1937–1942 満州重工業開発の総裁として、満州国の重工業建設を主導した。[1]

釈放後の歩み

  1. 1947

    巣鴨拘置所から釈放された。[1]

  2. 1953

    参議院議員に当選した。[1]

  3. 1956

    日本中小企業政治連盟を結成し、総裁に就任した。[1]

戦後日本への影響

日産コンツェルンの創設者として、また満州国の重工業を主導した人物として、戦前・戦後の日本の産業・財界に大きな足跡を残した。[1]

満州国の経営を通じて岸信介と深く結びつき、その人脈は戦後保守政治にも連なった。[1][2]

関わった人物

  • 岸信介 ― 満州国の経営を共にした「2キ3スケ」の一人。ともに満州国の産業開発を担った。[2]
  • 星野直樹 ― 満州国経営の「2キ3スケ」に数えられた一人。[2]

写真

鮎川義介(1956年)
鮎川義介(1956年)
出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン(PD-Japan-oldphoto)) 原本

出典

本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書

  1. [1]
    一般書 コトバンク「鮎川義介」(日本大百科全書ほか) (コトバンク) リンク
    戸畑鋳物の設立・日産コンツェルンの形成・満州重工業開発総裁(1937–1942)・A級戦犯としての収容と釈放・参議院議員・日本中小企業政治連盟総裁の記載を確認
  2. [2]
    一般書 コトバンク「岸信介」(日本大百科全書ほか) (コトバンク) リンク
    岸が東條英機・星野直樹・松岡洋右・鮎川義介とともに満州国を動かす「2キ3スケ」と呼ばれたことを記載

最終確認日:2026-07-09

本サイトは、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に収容され、その後釈放された戦争犯罪人が、戦後日本の政治・経済に どのように関わったかを、一次資料と学術文献に基づいて客観的に記録する非営利の資料サイトです。 各記述には出典を明示し、一次資料・学術資料で裏付けられない事項は断定を避けています。

人物名鑑 出典方針・免責