児玉誉士夫
こだま よしお(Yoshio Kodama) A級1911年2月18日 – 1984年1月17日 /福島県 /右翼・団体・政治
児玉誉士夫(1911–1984)は、戦後日本を代表する「フィクサー(黒幕)」とされる右翼運動家である。戦時中は海軍向けに物資を調達する「児玉機関」を率いた。[1]
敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容されたが、1948年に釈放された。以後、蓄えた資産と人脈を背景に、保守政界や右翼運動の裏側で大きな影響力を持ったとされる。[1]
1976年のロッキード事件では、同社の秘密代理人としての関与が問題化した。[1]
戦犯としての位置づけ
- 区分
- A級戦犯
- 処遇
- 不起訴・釈放
- 巣鴨収容
- 1946年
- 釈放
- 1948年12月24日
戦前の経歴
釈放後の歩み
戦後日本への影響
「児玉機関」由来の資産が保守政党の再建資金に使われたとされ、これを機に保守勢力と深い関係を持ったと説明される。[1]
占領期、米陸軍情報部(G-2)は児玉の中国での人脈を諜報に利用しようとし、児玉機関は有末精三ら元軍人による工作に組み込まれた。米国立公文書館の研究(IWG報告)によれば、児玉はG-2に直接雇われたというより、仲介者を通じて資金や便宜を得ていたとされる。[4]
もっとも、CIA自身の1953年の内部報告は児玉を厳しく評価し、「児玉の諜報要員としての価値はほぼ皆無であり、プロの嘘つき、ギャング、ペテン師、そして盗人である」と記していた。占領終結後、CIAは児玉と関わることを拒んだとされる。このため「CIAの有能なエージェント」という通俗的な像は、公開された一次文書とはむしろ食い違う。[4][2]
ロッキード事件は、当時の首相経験者・田中角栄の逮捕にも至る大規模な贈収賄事件に発展し、戦後日本の政治を大きく揺るがした。[3]
関わった人物
写真
出典:米陸軍(占領期)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン(米国政府職員の職務著作)) 原本
出典
本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書。
- [1] 一般書 コトバンク「児玉誉士夫」(日本大百科全書/ブリタニカ国際大百科事典) (コトバンク) リンク生没年・児玉機関(1941年・海軍航空本部嘱託)・A級戦犯指定と1948年釈放・保守党再建資金との関係・ロッキード秘密代理人の記述を確認。百科事典(第三次資料)として使用
- [2] 一次資料 機密解除文書「KODAMA, YOSHIO」(CIA名前ファイル) /U.S. Central Intelligence Agency CIA Reading Room / NARA(CREST) リンク米情報機関が保持する児玉の人物ファイル。スキャン文書であり、個別の記述内容の評価には諸説がある点に留意
- [3] 一次資料 米国上院 多国籍企業に関する小委員会(チャーチ委員会)公聴会(1976年) /U.S. Senate Subcommittee on Multinational Corporations (1976)1976年2月、ロッキード社による対日不正資金と、秘密代理人・児玉への支払い(約7百万ドルとされる)を公にした。児玉は1958年ごろから同社の代理人であったとされ、事件は田中角栄元首相の逮捕(1976年7月)に発展した
- [4] 学術 The Intelligence That Wasn't: CIA Name Files, the U.S. Army, and Intelligence Gathering in Occupied Japan(『Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays』所収) /Michael Petersen (米国立公文書館 省庁間作業部会(NARA / IWG) 2006) リンク機密解除されたCIA名前ファイル(NARA RG263)を分析した学術論文。児玉機関・G-2との関係に加え、CIAの1953年内部評価『児玉の諜報要員としての価値はほぼ皆無…プロの嘘つき、ギャング、ペテン師、盗人』(出典: Background on J.I.S. and Japanese Military Personalities, 1953年9月10日, RG263, 児玉ファイル)を引用
最終確認日:2026-07-09