笹川良一

ささかわ りょういち(Ryoichi Sasakawa) A級

1899年5月4日 – 1995年7月18日 /大阪府箕面市 /右翼・団体・経済・財界

笹川良一(1899–1995)は、昭和期の右翼運動家。1931年に国粋大衆党を結成し、戦時中は衆議院議員を務めた。[1]

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容されたが、1948年に釈放された。戦後は競艇(モーターボート競走)事業を全国に広げ、その収益を基盤に大きな財力と影響力を持った。[1]

1962年、日本船舶振興会(現在の日本財団)の会長に就任し、慈善事業を展開する一方、反共の立場から右翼・保守運動を支援したとされる。[1]

戦犯としての位置づけ

区分
A級戦犯
処遇
不起訴・釈放
巣鴨収容
1945年12月
釈放
1948年12月24日

敗戦後、A級戦犯の容疑者として巣鴨拘置所に収容された。[1]

1948年、起訴されないまま釈放された。東條英機らの処刑の翌日にあたる12月24日に、岸信介・児玉誉士夫らとともに釈放されたとされる。[1] 諸説あり

戦前の経歴

  • 1931 右翼団体・国粋大衆党を結成した。[1]
  • 1942 翼賛選挙で衆議院議員に当選した。[1]

釈放後の歩み

  1. 1948

    巣鴨拘置所から釈放された。[1]

  2. 1951

    全国モーターボート競走会連合会の会長となり、競艇事業を全国に普及させた。[1]

  3. 1962

    日本船舶振興会(現・日本財団)の会長に就任した。[1]

戦後日本への影響

競艇事業で得た財力を基盤に、慈善事業と並行して反共・右翼運動を支援し、戦後の保守・右翼人脈の中で影響力を持ったとされる。[1]

米国の情報機関は笹川に関する人物ファイルを保持しており、反共活動をめぐって米情報当局と接点があったとする見方があるが、その評価には諸説がある。[2] 諸説あり

関わった人物

  • 岸信介 ― 同じくA級戦犯の容疑で巣鴨に収容され、1948年に釈放されたとされる。[1]
  • 児玉誉士夫 ― 同じく巣鴨から釈放され、戦後の右翼・政界で活動したとされる。[1]

写真

笹川良一(1949年)
笹川良一(1949年)
出典:櫻洋一郎/Wikimedia Commons(パブリックドメイン(PD-Japan-oldphoto)) 原本

出典

本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書

  1. [1]
    一般書 コトバンク「笹川良一」(20世紀日本人名事典/ブリタニカ国際大百科事典) (コトバンク) リンク
    生没年・出身地・国粋大衆党(1931年)・翼賛選挙での衆院議員当選(1942年)・A級戦犯と1948年釈放・競艇事業・日本船舶振興会会長(1962年)の記述を確認。百科事典(第三次資料)として使用
  2. [2]
    一次資料 機密解除文書「SASAKAWA, RYOICHI」(CIA名前ファイル) /U.S. Central Intelligence Agency CIA Reading Room / NARA(CREST) リンク
    米情報機関が保持する笹川の人物ファイル。スキャン文書であり、個別の記述内容の評価には諸説がある点に留意

最終確認日:2026-07-09

本サイトは、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に収容され、その後釈放された戦争犯罪人が、戦後日本の政治・経済に どのように関わったかを、一次資料と学術文献に基づいて客観的に記録する非営利の資料サイトです。 各記述には出典を明示し、一次資料・学術資料で裏付けられない事項は断定を避けています。

人物名鑑 出典方針・免責