背景・解説
人物という「点」を結ぶ「文脈」― 収容と釈放の舞台、転機となった日、復権を可能にした時代背景。
巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)― 収容と釈放の舞台
東京・巣鴨にあった拘置施設。1945年11月に連合国軍が接収して戦犯容疑者を収容する「巣鴨プリズン」となり、1958年12月に閉鎖されるまで約4,000名が身柄を置かれた。本サイトが扱う人物は、いずれもこの建物を経て戦後社会に戻っている。
関連人物:岸信介・児玉誉士夫・笹川良一・青木一男・大川周明・正力松太郎
1948年12月24日の一斉釈放 ― 東條ら処刑翌日の転機
東條英機ら7名の絞首刑が執行された翌日、起訴されないまま巣鴨に拘置されていた戦犯容疑者19名が釈放された。岸信介・児玉誉士夫・笹川良一もこの中にいる。「追加の裁判を開始しない」という連合国軍側の決定が、戦後日本の顔ぶれを大きく左右した。
関連人物:岸信介・児玉誉士夫・笹川良一・青木一男・大川周明
逆コース ― 復権を可能にした占領政策の転換
非軍事化・民主化から、冷戦下の反共政策へ。1948年前後に始まる占領政策の転換と、それに続く公職追放の解除が、巣鴨を出た人々が政治・経済の中枢へ戻る道を開いた。ただし「逆コース」という枠組み自体にも議論がある。
関連人物:岸信介・正力松太郎
『すがも新聞』と巣鴨の内側 ― 記録に残された日常
巣鴨プリズンでは、収容者自身が新聞を出していた。1948年6月創刊の『すがも新聞』は全193号を数える。教誨師の記録、収容者が獄中で書いた漢詩とあわせて、判決と釈放の日付の外側にあった13年余りの日常をたどる。
関連人物:大島浩