巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)― 収容と釈放の舞台

東京・巣鴨にあった拘置施設。1945年11月に連合国軍が接収して戦犯容疑者を収容する「巣鴨プリズン」となり、1958年12月に閉鎖されるまで約4,000名が身柄を置かれた。本サイトが扱う人物は、いずれもこの建物を経て戦後社会に戻っている。

明治の監獄から東京拘置所へ

巣鴨の監獄は、明治28年(1895)の石川島監獄の移転新設に際して、警視庁監獄巣鴨支署として成立した。明治30年に巣鴨監獄署、明治36年に巣鴨監獄と改称されている。[1]

大正11年(1922)に巣鴨刑務所となり、昭和12年(1937)には未決囚を収容する東京拘置所に転換された。所在地は現在の東京都豊島区東池袋三丁目にあたる。[1]

「巣鴨プリズン」の13年

1945年11月、連合国軍は接収した東京拘置所の施設を利用して、A級・BC級戦犯容疑者を収容する施設を開設した。管理にあたったのは米太平洋陸軍第8軍で、英語では Sugamo Prison と呼ばれた。[2]

1958年12月29日に閉鎖されるまでの13年余りの間に、約4,000名の戦犯・戦犯容疑者が収容された。[2]

収容中には収監者自身が発行する『すがも新聞』もつくられた。各種の記録・報告書とあわせて米国立公文書館(RG 554)に残され、そのマイクロフィッシュ複製2,667枚が「巣鴨プリズン文書」として国立国会図書館憲政資料室に所蔵されている。[2]

1948年12月、二日間の分岐点

1948年12月23日未明、極東国際軍事裁判で死刑を宣告された7名が、巣鴨で絞首刑に処された。在日政治顧問代理シーボルトは同日、この執行を米国務長官へ打電している。[3]

その翌日にあたる12月24日、起訴されないまま拘置されていた戦犯容疑者19名が釈放された。この中に岸信介・児玉誉士夫・笹川良一・青木一男・大川周明が含まれる。[4]

同じ巣鴨でも、収容と釈放の時期は人によって異なる。たとえば正力松太郎は1945年12月に収容され、約21か月ののち1947年に不起訴で釈放されている。[6]

日本への返還、そして閉鎖

1952年4月、対日講和条約の発効に前後して施設の管理権が日本政府へ移され、名称も巣鴨刑務所と改められた。[2]

管理権の移譲後も戦犯の服役は続いたが、1958年までに全戦犯が釈放された。[5]

東京拘置所は昭和46年(1971)に葛飾区小菅へ移転し、巣鴨の跡地には現在サンシャインシティが建っている。[5][1]

この記事に登場する人物

出典

本文中の [番号] は下記の出典に対応します。区分: 一次資料=公文書等/学術=論文・研究書/報道/一般書

  1. [1]
    一般書 コトバンク「巣鴨監獄跡」(日本歴史地名大系) (平凡社/コトバンク) リンク
    明治28年の警視庁監獄巣鴨支署としての成立、明治30年・36年の改称、大正11年の巣鴨刑務所、昭和12年の東京拘置所への転換、現在地名(豊島区東池袋三丁目)を確認
  2. [2]
    一次資料 巣鴨プリズン文書(Sugamo Prison Records, 請求記号 SP)解題 (国立国会図書館 憲政資料室) 原所蔵=米国立公文書館 RG 554(撮影当時 RG 338)/マイクロフィッシュ2,667枚 リンク
    1945年11月の開設、米太平洋陸軍第8軍による管理、1952年4月の日本政府への移管と巣鴨刑務所への改称、1958年12月29日までの運営期間、収容者約4,000名、『すがも新聞』の存在を確認
  3. [3]
    一次資料 Foreign Relations of the United States, 1948, Vol. VI, The Far East and Australasia, Document 631(740.00116 PW/12–2348: Telegram) /William J. Sebald(在日政治顧問代理)→ 米国務長官 (U.S. Department of State, Office of the Historian 1948-12-23) リンク
    極東国際軍事裁判で死刑を宣告された7名が巣鴨で絞首刑に処されたことを報告する電報
  4. [4]
    一次資料 Foreign Relations of the United States, 1948, Vol. VI, The Far East and Australasia, Document 632(740.00116 PW/12–2448: Telegram) /William J. Sebald(在日政治顧問代理)→ 米国務長官 (U.S. Department of State, Office of the Historian 1948-12-24) リンク
    19名の戦犯容疑者が釈放されたこと、およびその氏名一覧(Kishi, Kodama, Sasakawa, Aoki, Okawa を含む)を記載
  5. [5]
    一般書 コトバンク「巣鴨プリズン」(デジタル大辞泉/共同通信ニュース用語解説) (小学館・共同通信社/コトバンク) リンク
    1952年のサンフランシスコ平和条約発効による管理権移譲と58年までの全戦犯釈放、1971年の東京拘置所の小菅移転、跡地のサンシャインシティを確認
  6. [6]
    一般書 コトバンク「正力松太郎」(日本大百科全書ほか) (コトバンク) リンク
    1945年12月の収容と1947年の不起訴釈放を確認。本サイト「正力松太郎」のページと同一の出典

最終確認日:2026-07-29

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